パートなのに従業員より多い仕事量と勤務時間。家庭と両立出来なくなりやめました。

主人が仕事を辞めて生活が大変だった頃、まだ子供は3歳と4歳でした。

とにかく生活費を稼がなきゃ、と思い子供を保育園へ預け働く事に。

認可の安い保育園は空きが無く、結局高い無認可の保育園へ。

しかし、まだ仕事が決まっておらず電話帳を片手に、片っ端から電話を掛けて見つけたのがその給油所でした。

アルバイトなので時間は8時間まで、日曜は休み。取りあえず、接客や給油に車の洗車などを担当する事に。

結婚前にもやっていた慣れた仕事だったので、私的には楽な仕事。

従業員の人達とも特に問題なく、和気あいあいとチームで楽しく仕事をしてました。

決められた休み以外にも、休みが結構とれるし子供に合わせる事が出来るので助かってました。

しかし一年が経った頃、給油所の所長が代わりそこから徐々に変化していくんです。

アルバイトからパートになり、もちろん健康保険加入になり安い給料から保険料等が引かれます。

そうすると残った給料のほとんどが保育料で消える状態。

パートになってから仕事の内容も変わり、仕事量は増え、勤務時間も長くなったのに時給は安いまま。

子供を朝保育園へ送り届け、職場へ行き夕方には迎え、帰って炊事洗濯と本当に休む暇がなく疲れていました。

近くに主人の実家があり、本当なら実家に預けて仕事をしたかったのですが訳あってそれも出来ず。

従業員が休みの時は、朝出や夜出に人数の穴埋めでシフトを勝手に入れられたり。

その頃には子供とゆっくり過ごす時間もなく、夕飯を作るのが精一杯の私。

子供が熱を出したので「休みたい」と電話を入れた所「今日は従業員の○○が休みだから困る」と。

仕方なく熱があり寝ている子供を一人残し、職場へ向かいました。

こんな都合よく安い給料で使われて、自分の子供に可哀想な思いをさせている。

もう限界でした。その日に「辞めます」と直接本社へ電話を入れて後日辞表を郵送しました。

最初はとても良い環境の職場だったのに、今ではとても後悔しています。

簡単に選ばず、福利厚生などを見て検討した方がいいですね。

ノルマに追われる職場

8年くらいまで約6年間旅行会社の営業をしていました。旅行会社は華やかな楽しそうなイメージがありますが、そんな楽しい仕事ではありませんでした。不景気になり、企業の福利厚生も恵まれない状況で、慰安旅行のような旅行は減っていくばかりで、不景気の最中に入社しました。入れば楽しい研修期間はありましたが、いざ研修が終わり、新たな配属先に行くとそこは軍隊のような厳しい環境でした。企業の旅行がなければ、商品券の販売やカードの入会勧誘やエンタメチケットの販売など、旅行とは全く関係ないものでも、それでなんとか収入をあげて予算を達成しろとの至上命令でした。それらのノルマは自分で買ったり、親や友達に協力してもらったり、いろいろな方法で取り組みました。ノルマにほど遠いものなら、上司から他の営業マンの前で吊し上げのように怒られ、毎日のように進捗を追われます。それらのノルマは毎年のようにあり、毎年同じ苦しみを味わいます。苦しみながら達成しても「ごくろうさま」の一言で、何事もなかったように次のノルマを課され、また苦痛を味わいます。若手は先輩や上司の指示に従うだけで、従わなければ直属のリーダーも巻き添えにして、リーダーともども怒られます。何度もまる1日旅行の営業をせず、商品券やエンタメチケットの営業をしていたこともありました。自分は旅行会社の社員なのに、何を売ってるんだろうと自問する日々でした。バブルの時は旅行会社はすごく利益があった話をよく聞きましたが、不況のこの時期に同じ感覚で上司に当たり前のようになんで旅行が獲得できないのかと言われても、時代が違うしか言いようがないのです。いくらノルマで自分のお金が飛んでいったかと考えると辛かったです。

ある販売職に関する労働環境

私はある小売業の販売員として勤めていました。扱っている商品を載せてしまうとどの会社かすぐ特定しやすいので、小売業とだけ記載させていただきます。
その会社では勤務時間が本当に長く、色々と問題がありました。入社したときから一日の労働時間が長く、約13〜14時間は当たり前で、6連勤や8連勤もありました。
所属店舗によって勤務時間は異なりますが、開店前〜閉店までは必ず勤務する体系です。残業代は全額支給されるので、給料面では割ともらえましたが、とにかく休みがなく働き続けです。公休も月5〜6日が主です。
また今は色々厳しくなりましたが、入社当時は月の売上目標がいかなかった場合、個人で商品を買って売上につなげる行為も多々ありました。年に数回様々なフェアも行います。予算達成しても特に報奨金はないため、やる気が出にくいときもありました。しかし、フェアの進捗がよくなかったときは、これも商品を自分で買ってフェア貢献したこともあります。
全国チェーンの為、異動もすごく多かったです。1年で3店舗所属したこともあります。早ければ3ヶ月に1回の頻度で異動したこともございます。
以前からこの会社では出店するペースが非常に多く、それによって慢性的な人手不足に陥っています。所属した店舗によっては正社員2名は当たり前の所もあります。
退社後、ニュース等で残業などの問題を聞いたりします。色々改善してはいるみたいですが、慢性的な人手不足による販売員の負担は減っていないような気がします。

あるホテル会社での激務シフト

数年前にあるビジネスホテルに勤めたことが御座います。最初求人を見たときに、月8回の出勤で1日通し勤務(25時間)と記載がありました。月の公休数が約7割という多さに魅力を感じ採用され、働き始めました。研修期間は通しの勤務でも仮眠もきちんととれ問題なく1日通しのシフトをこなしていきました。
しかし、研修が終わって独り立ちしたときから、このシフトの本当の辛さを味わいました。
まず、25時間勤務となっていましたが、正確には30時間弱となっています。朝出勤し、部屋割りの手続き・チェックアウト・夕方のチェックインまで準備・チェックインの業務後雑務、金銭管理、翌朝のチェックアウトまでが一連の仕事になりますが、チェックアウト作業後になぜかフロントの清掃を行い、引継ぎをしたりして終わりになります。通常のシフト内であればフロントの掃除は問題なくやります。しかし、一日通して働いた後で勤務時間終了後に清掃まで担当するのは体力的に辛いものがあります。また金銭管理で売上金が合わなかった場合、仮眠をとらず夜通し追求をかけなければならいこともあったので、最悪一睡もしないまま、清掃まで行うという厳しい勤務内容となっていました。
また月に1度ミーティングで集まることになりますが、シフト明け翌日にミーティングに出席すると、翌日しか休みがないため、またすぐ1日フルの勤務を迎えることになります。
求人票では25時間と書いてましたが、30時間労働は当たり前だと知ったときには長くこの仕事は勤められないと思い、早期退職をしました。ホテルのシフト制は交代制が一般的ですが、この会社のシフトは体力がないと続かないシフトです。

あまりにも平凡で機械的な生活

私は商業高校を卒業したので、自動的に銀行か事務系の仕事につくことを予定していました。

どういう仕事になるかはよくわかっていませんが、出来る限り給料が良くて休日が多いところがいいと思って選択しました。

第一志望のところには学校からの推薦をもらえなかったのですが、何番目かの希望のところに合格することができました。

入社して日本ではある程度有名な大企業だったのでまわりの人からは羨まれていたりしました。

両親もかなり喜んでくれましたので喜んで会社に通っていました。

小規模な会社だとどうなのか分かりませんが、大手の会社では個人のする仕事もベルトコンベアー式のような気がします。

毎日毎日する仕事が、ずっと同じです。

最初に業務を習ってそれをずっとやっていました。

朝会社にいってお茶をわかして、掃除してそれから各部署への配布をする書類を手分けします。

だいたい午前中は配布の仕事などで終わるという感じです。

ファックスなどで内容を送ってしまえばいいのですが、どうしてかそういう仕事をしていました。

昼からはコンピュータや上司から頼まれたコピーなどをしてそれでだいたい一日が終わります。

なんとなく自分がロボットの会社でロボットになったようなそんな気持ちがしました。

生活がかかっていないからそういうのん気な不満を抱けるのかもしれないと思ったりもしましたが、なんとなく仕事に対する遣り甲斐という言葉からはほど遠い仕事だったような気がします。

同じく事務をしていた先輩も同じ思いだったようで、途中で会社を辞めて看護学校に通って新しい人生を出発していました。

私ももともとは美術系の仕事をしたかったのですが、家庭の事情で断念して事務の仕事を選択するようになったのですが、やはりそういうもともと自分が好きな分野が芸術方面だっただけに、変化のない生活に飽きてしまったような感じです。

周りの人達などそうでもないようで普通に過ごしているような感じでしたが、私は毎日非常に退屈な日々をすごしていました。

結果として知り合いから紹介されて職場に転職をしたのですが、小さな会社だったのでいろいろとする事がたくさんありました。

やったことのないスピーチや、地域で有名な方の接待をしたり、事務の仕事もするのですが広告などで、絵をかいたりと自分の好きな分野の仕事をしたり、対外的な仕事もするのでいつも自分を向上させるための勉強が必要でした。

大変だったですが遣り甲斐という点では充実した職場だと思いました。

やはり人間発展のない生活をするとどんなにいい環境だとしても、その生活に満足がいかなくて、断念することもあると思ったりしました。

19年続けたパチンコ店を辞めた理由。

私は数年前、19年と人生の半分を過ごしたパチンコ店を退職しました。このまま定年までお世話になるつもりでもいましたし、自分がこの会社を辞める事なんか無いだろうとも思っていました。
では何故そういう事になったのか…お話しさせて頂きます。
それは内勤をしていた時の事でした。その年の3月に入った頃で
異動、昇進の時期でもありました。自分は内勤の仕事をしていて当時は中間管理職で日々忙しくもありましたが充実した日々を過ごしておりました。辞令が出て人が自分の部署に移ってくるとも聞いていたので受け入れ準備もしつつ、その日仕事をしていると
当時の上司から私に辞令が出ていると聞き、それを受け取り見てみると10年離れていたホールの仕事への配置転換でした。
大きな落胆と不安が自分に襲ってきました。即答を迫る上司でしたがもちろんすぐ返事も出来る訳ありません。
両親や社内で唯一趣味も合って仲良くしていた後輩も心配してくれました。
合わせて父親が病気で入院、手術というダブルパンチ。
また都会から外れた田舎町だったので引っ越しも合わさるという
事になりました。
母親や上司、また後輩からも励まされ、辞令を受けて
異動する事にしました。
そこで過ごす事1年と10ヶ月。内勤をする前はホールにも出ていたので身体にしみ込んでいた事もありましたが、まさに浦島太郎状態。何を言われてもチンプンカンプン。また詰まらないミスも
連発、涙も沢山流しました。そして帰宅しても馴れない土地での生活で何か変なストレスも貯まっていたと思います。
そしてそこでの生活が1年も過ぎた時、ミスもだいぶん減ってきてようやくペースもつかめてきた頃でした。
自分は元々吃音持ちで人にその事は話すようにもしていて、自分が話す事で人に迷惑もかけたくなかったんでリスクがかかる事を避けるようにしていました。もちろんそれで上司から評価を下げられる事も承知の上で。
有る時、上司からだいぶんミスも減ってきたから人前で話す事をやってみませんかと言われました。自分は自分の事がわかっていたので負担をかけないようにやり過ごすつもりで了承してしまいました。そしてそこから意味をはき違えた上司のパワハラが始まったんです。
朝礼の司会をずっとさせられ、また社訓唱和もあてられて…
普通の人から言わせると何でもない事と思います。しかし
吃音者からするととんでもない事なんです。
そこから数ヶ月後、身体にも異常が出てきました。過呼吸です。
会社内で過呼吸になる事、3回程。上司にそれを言うと
会社内で倒れられてもたまらんと責任逃れ。
そこからまた仕事でのミスも増えてきました。
何か普通と違う感覚も出ていたので、心療内科を受診すると
鬱病の診断でした。配置転換のショック、吃音で無理をさせられてる事が原因との事。上司にもそれを報告。すると
仕事を取り上げられ、責任有る事をさせないと言われました。
何よりも自分の体調を1番に考えていたのでそれを了承して薬を飲みながら仕事をしました。
しかし、ある日の朝礼で社訓唱和をあてられ、その後に過呼吸が
出ました。また上司から呼び出され、別の仕事をした方が良いと
告げられました。
面倒だから辞めさせたいという事なんだろう、また過呼吸がまた出てしまった事、何かそれで頑張ろうという気持ちが切れてしまいました。

厳しい事を言うならばいくらミスが多かったり、仕事が上手く行かなくても辛くあたってそこから這い上がってこいというのが
良い上司なのかもしれません。しかしその中にも優しさや暖かさが出てくるもの。
私が経験した事はそこから追いつめられ、後ろ指をさされて
挙げ句の果てに辞めさせられたという事でした。

それまで辞めたいと思った事もありましたが、何とか乗り越えられてきました。それは自分がやりたい事のステップと考えていたからかもしれません。それが繋ぎ止めていた事だったと思います。
今は現場仕事で毎朝早くから現場に出ています。最悪の状況からは抜け出せたと思うし、元気になれているとも思います。
あの頃の悔しい気持ちはしっかりと胸に刻み込んでこの先生きていこうと思います。

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